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高木 正雄(たかぎ まさお 1916年 - 1944年6月18日〔 ※高木正雄の項がある。〕)は、日本の元アマチュア野球選手。京都府出身。ポジションは投手。 ==来歴・人物== 平安中学(現・龍谷大学付属平安中学校・高等学校)在学中は、甲子園に6回出場〔5大会以上甲子園に出場した選手(ベンチ入りも含む) ※6回出場の欄に高木正雄の名前がある。〕(内訳は春3回〔1932年,1933年,1935年〕。夏3回〔1931年,1933年,1935年〕。)この内、1933年夏は1人で投げきり準優勝に貢献。決勝では、大会屈指の好投手・吉田正男(中京商。この試合の前日に延長25回を完投していた。)との投げ合いになったが、1-2で惜敗した(この結果、中京商は史上唯一の3連覇を果たした)〔センバツ・全国選手権 京都 歴代代表校・成績 〕〔尚、この試合の敗戦で、チームは西本願寺(学校の経営母体)の大谷光明(大谷光瑞の実弟に当たる)からお叱りを受け、当時の空本福松監督が辞任するという事態も引き起こした。〕。準優勝時のメンバーに岡村俊昭、富永嘉郎(共に、後に南海でプレー)、宇野錦次(後に阪急,西鉄でプレー)がいる。スローカーブを得意とし、沢村栄治(京都商〔現・京都学園高等学校〕)のライバルでもあった(1934年春・夏は京都府予選で沢村に敗れている)。 平安中学卒業後、1936年に慶應義塾大学に進学。六大学野球でも活躍し、1939年秋季リーグで慶大の13季ぶりの優勝の立役者となった〔〔戦歴(慶應義塾体育会野球部のHP) 〕。1941年には主将を務めた〔。大学時代の通算成績は17勝12敗だった〔◆記録集(投手)◆(慶應義塾体育会野球部のHP) ※●通算勝利数(慶大)で19位である。〕。 1942年春、慶大を卒業。その後応召され、1944年6月18日にビルマ・モガウンにて、インパール作戦に従軍中にグルカ兵の急襲に遭い、戦死した〔。享年28。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている〔〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高木正雄 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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